香りと癒し空間ベルガモット

香りの勉強をしています。ノート感覚で学んだことを綴っていきます。

中世の香り➃【ヨーロッパ】

古代を経て、中世の時代にはさらに『香り』の文化は人々の生活に密着し根づいたものとなっていきます。それは中世ヨーロッパの世界で顕著になっていき、現代に向けてさらなる発展へとつながります。中世ヨーロッパの香りの歴史について勉強します。

 

【目次】

         

 

アラビア・イスラムの『香り』

 

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東西貿易

イスラム帝国ローマ帝国が滅びたのち、古代ローマの文化を引き継いで、十字軍の時代に栄えた文化圏です。イスラムは東のアジア大陸と西のヨーロッパ大陸のちょうど真ん中にあり、東西交流の重要な地点として栄えました。

東西貿易では香りも輸出入の対象になり、東洋から西洋へは沈香(じんこう)・白檀(サンダルウッド)・シナモン・コショウ・ナツメグなどが多く運ばれ、西洋から東洋へはアンバーやシベット(ジャコウネコの分泌物、香料として使われる)などが運ばれました。

この当時、特にスパイスはとても高価で金と同じ価値があるとされていました。

水蒸気蒸留法の発見

これまで香りは、植物をアルコールに混ぜたものや、樹脂をそのまま焚いたりするなどして得ていました。

この頃、医師・化学者・哲学者であるアラビア人錬金術アヴィケンナ(980年~1037年)が金以外の金属から金をつくる錬金術の工程でバラを使っていたところ、バラから精油とバラ水がとれることを発見しました。

これが、多くの植物の精油を抽出する現在の製造法である『水蒸気蒸留法』のきっかけになり、この方法なら植物本来の香りを楽しめることから、特に好まれるようになったのです。

医療にも使われる芳香蒸留水

当時のイスラム帝国では、ヒポクラテスやガレノスのギリシャ医学を元に、中近東・エジプト・インド・中国などの周辺地域の医学的な知識を合わせたユナニ医学(ユナニとはアラビア語ギリシャのこと)として発展しました。

また、この頃にはアルコールが発明されたり、アラビア式蒸留法が確立されたりと、アラビアの医学・化学は隆盛期を迎えます。

イスラムを代表して活躍した医師の中にイブン・シーナー(980年頃~1037年頃)がいます。イブン・シーナーは医師であると同時に、哲学者であり天文学や数学・文学などにも精通していました。彼は水蒸気蒸留法で得られる芳香蒸留水を治療に用い、また彼の著書『医学典範(カノン)』は、17世紀頃までヨーロッパの医科大学で教科書として使われています。

 

中世ヨーロッパの『香り』

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僧院医学(修道院医学)

中世ヨーロッパはキリスト教が台頭しました。修道院内で薬草が育てられ、治療に使われたのです。その医学知識は修道士たちによって伝えられ、『僧院医学(修道院医学)』と呼ばれます。

ドイツの修道院で活躍した修道女ヒルデガルト(1098年~1179年)はさまざまな薬草やハーブで治療する活用法を著し、現在のドイツの植物学の基礎を築きました。また、彼女が用いた薬草の採集・保存の方法は現代でも十分に使えるもので、ラベンダーの効能を最初に紹介したのも彼女であるといわれています。

これらの僧院医学(修道院医学)は、医学校の開設でさらに発展してゆきます。その代表的なものがサレルノ(イタリア)とモンペリエ(フランス)の学校で、のちに医科大学となります

ペストにも効果

中世ヨーロッパにおいて大きな社会問題となったのがペスト(黒死病)の流行です。ペストの潜伏期間は2~7日で、全身の倦怠感から始まり寒気、高熱が出て、その後感染の仕方と症状の出方によって腺ペスト・肺ペストなどにわけられます。治療しなければ数日で死亡してしまう恐ろしい感染症なんです。

この頃、ペスト対策の一つとして行われたのが、ハーブやスパイス・樹木・樹脂などの燻蒸です。

 

中世で『香り』が大きく発展

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中世に入って香りはより研究され、著書として著されることによってさらに発展しました。現代に通じる内容であることから、当時から本格的な研究がなされていたのでしょう。このあとさらに発展して今日に至るのです。

修道院が香りのメインになっていたとは少し驚きましたが、だからこそここまで本格的な研究に繋がったのかなとも感じました。