古代ギリシャ・ローマ時代になると、エジプトやイスラエルで神と人とをつないでいた『香り』の在り方が少し変わってきます。医学の進歩に伴って、香りやその元である植物が、薬として研究されるようになるのです。歴史第二弾の勉強をします。
【目次】
医学・哲学に用いられる
古代ギリシャ・ローマ時代では、『香り』は医学や哲学の世界にも用いられ、研究されるようになります。また、植物そのものがハーブやスパイスとして料理に使われるようにもなってくるのがこの時代です。
エジプトやイスラエルの時代よりもかなり進化した『香り』の世界への展開がみられます。
またこの頃は華やかなローズの香りがとても好まれ、人々の生活に密着していました。食事やさまざまな儀式をはじめ、お風呂にも洗濯にもローズの香りが使われたようです。
古代ギリシャの『香り』
医学の父の4体液説
西洋医学の基礎はこの頃につくられます。食べ物を「熱」「冷」「乾」「湿」に分類し、また病気がおこるのは「血液」「粘液」「黄胆汁」「黒胆汁」の4種類の体液の混合が原因であるという『4体液説』を唱えたのが医学の父ヒポクラテス(紀元前460年頃~紀元前375年頃)です。
ヒポクラテスはそれまでの医療を神官などの呪術的なものから切り離して、症状の観察や医師の経験などを重視し病気を自然現象として科学的にとらえ、現代の医学にも通じる基礎を築きました。
『ヒポクラテス全集』を見てみると、芳香植物はそれまでの神と人をつなぐものから、病気を治療するものとして、より人々と密接になります。芳香植物を生のまま、または乾燥させたものを焚いて燻蒸することで治療薬の一つとしての役割りを果たします。
哲学者による植物誌
植物学の祖・哲学者テオフラストス(紀元前373年頃~紀元前287年頃)は、著書『植物誌』に500種類もの植物を科学的に分類しました。そこには香料として用いられた植物がまとめられていて、調合や製造、使用方法についての記載もあります。
当時は芳香植物をすりつぶして粉末にしたものやワインやオリーブ油などに漬け込み香りを移したものが中心でした。
古代ローマの『香り』
めざましい薬草医学の進歩
古代ギリシャの医学は古代ローマへと受け継がれ、発展しました。ギリシャ人医学者ディオスコリデス(40年頃~90年頃)は皇帝ネロの軍医として働き、その経験を『マテリア・メディカ(薬物誌)』にまとめました。約600種類もの植物の生育地・その効能・薬としての調合方法なども記されています。
マテリア・メディカは、長い間植物薬学の重要な古典として広く利用され、写本されながら千数百年の期間受け継がれてきました。最も古い写本は512年頃制作されたといわれる『ウィーン写本』が有名です。
また、77年には博物学者プリニウス(23年頃~79年頃)によって全37巻にも及ぶ『博物誌』が発表されました。これは植物や植物薬剤について広く書かれた、自然に関する当時の知識や情報の集大成といえます。
古代ローマを代表し、ヒポクラテスに次ぎ偉大な医学者がガレノス(129年頃~199年頃)です。ガレノスはヒポクラテスの医学を基本に、体系的な学問としての医学を築きました。コールドクリームや自然素材を使ったガレノスが処方する製剤は「ガレノス製剤」と呼ばれ、今でもなお受け継がれています。
テルマエ
有名な映画で知られるこの名前、公衆浴場のことですね。
古代ローマの公衆浴場(テルマエ)にも温水・冷水プールにサウナ、さらには球技場や図書館が併設されるところもあり、社交の場を兼ねていました。
今でも遺跡として残っていて有名なのが『カラカラ浴場』ですが、ここでは香油を使ったマッサージや垢すりも行われていたといいます。
古代の香り➁【欧米】を学んで
エジプト・イスラエルでは神と人をつなぐものとして香りが在りました。ギリシャやローマでは場所も時代も変わることで、それは人々を癒すものに進化しました。この時代に医学や薬学が一気に発展したといえます。
歴史を少しずつ勉強していくうちに、植物やその香りが人々にいろいろな癒しをもたらし、それを使って生活の質を上げていく人々の探究心ゆえに、どんどん身近なものになっていったような気がします。